Postdoctoral Associate, Department of Pathology, Baylor College of Medicine, Houston, Texas
「こちらヒューストン!」~テキサスの暑い大地から送る留学期~
1. はじめに
私は2009年4月より、アメリカテキサス州ヒューストンにあるベイラー医科大学で研究留学をさせて頂いております。ヒューストンに対する皆様のイメージはどのようなものでしょうか?荒涼とした町で、枯れ草が風に吹かれて地面を転がるところに、拳銃を腰に差したカウボーイが酒瓶片手に酒場から出てくるイメージ、あるいは、灼熱の大地とサボテンを背景に、投げ縄を持ち馬に乗って牛を追い回すカウボーイのイメージではないでしょうか?しかし、このイメージは全くの誤りであり、実際のヒューストンは、石油、宇宙、そして医療を主とした産業を持つアメリカ第4の都市です。高層ビルが建ち並ぶ都会的な町であり、ヒューストン美術館をはじめとした、大小様々な美術館を多数有する文化的な町でもあります。
とりわけ医療では、テキサスメディカルセンターと呼ばれる世界最大の医療コンプレックスが存在し、そこではベイラー医科大学とテキサス大学の2医学系大学に加え、ヒューストン大学とテキサス女子大学、ならびに各大学の関連施設と各種専門病院をはじめとする、13病院と50を超える医療関連施設が稼働しています。日本でも有名なMD Anderson Cancer Centerも、テキサス大学の関連施設の1つです。現在は、約6万2千人がこのセンターに従事し、年間約480万人の患者たちが全世界から来院されます。また、隣接する理工学系で有名なライス大学も含め、これだけ多くの大学と関連病院、ならびに研究施設が1カ所に集積している場所は他に類を見ず、その相乗効果は計り知れないものがあると思われます。
ベイラー医科大学は、このテキサスメディカルセンターの中核の一端を担い、特に人工臓器や心疾患(解離性大動脈瘤の分類で知られるMichael DeBakeyが学長をされていました)で世界的に知られる大学です。
2. これまでの経緯について
私自身は、産婦人科学教室へ入室後、大学病院と出張病院での臨床研修、ならびに大学院での研究を経て、留学前まで共済立川病院で臨床に従事させて頂いておりました。臨床の合間を縫って実験を継続する傍ら、現在のボスも含めて自分が興味を持った海外の著名な研究者たちにメールを送り、返信をして頂いた方々のもとへ、夏休みを利用してインタビューの旅に出ました。各研究室で、面接と自己紹介を兼ねたこれまでの研究成果に関するプレゼンテーションを行い、実際に働く人たちの意見を伺い、さらに、物価も含めた現地の生活様式を詳細に検討した結果、最終的に現在の研究室を選択しました。
3. ボスについて
現在のボスであるDr. Martin M. Matzukは、これまでにScienceやNatureを含む一流誌に数多くの論文を発表されてきた世界的に著名な研究者であり、多くの論文でその名前が引用されていることから、留学前よりその名前を存じておりました。また、慶應でセミナーをされた際に彼と話す機会を持ち、その人柄と情熱に強く惹かれ、将来は彼のような研究者のもとへ留学に行きたいと強く感じました。
Dr. Matzukは自由な雰囲気での研究室運営を基本とされており、開放的な精神のもと、私を含め研究員たちは厳しく締め付けられることなく自由に研究を楽しんでおります。ただし、完全な放任主義という訳ではなく、コミュニケーションを特に重視されておられます。世界各国から学会講演を依頼され、年間の約1/3は海外を飛び回るという多忙な状況にもかかわらず、頻繁にラボに出没され、研究員に声をかけ、研究プロジェクトに関するディスカッションと指示をされております。また、抄読会のようなものは行われていませんが、自分の研究に関係する分野の論文を網羅的に読み、常に知識を蓄えることを事あるごとに訴えられております。
4. 研究環境について
現在の研究室は、research scientist 4 名、visiting scientist 2名postdoctoral associate 3名、graduate student 3名、instructor 3名という中規模のメンバーで構成されています。しかし、頻繁にsummer studentやshort stay scientistが出入りするため、その構成員は常に流動的です。さらに、毎月入室を希望する多数の研究者たちが面接とプレゼンテーションを目的として世界各国から訪れるため、人の往来が絶えない活発な研究室です。現在は、アメリカ人、メキシコ人、ロシア人、イタリア人、オーストラリア人、フィリピン人、インド人、プエルトリコ人、中国人、韓国人、そして日本人と、かなり国際色豊かな構成となっております。
また、1~2ヶ月に1度行われる研究室のミーティングを兼ねたプログレスレポートは、当研究室から新たに自分の研究室を立ち上げたprincipal investigator 2名、ならびにその構成員と共に合同で行われるため、ミーティングルームはいつも多くの人の熱気で溢れています。私の場合、毎回おぼつかない英語で四苦八苦しながら、皆の前で何とか発表と質疑応答を行っているといった感じです。
大学内は非常にオープンな雰囲気であり、イントラネットを通じて大学内の研究者たちへ一斉にメールを送信できるシステムが構築されているため、常に見知らぬ人同士がメールを介して試薬や機器の貸し借りを行っています。また、みんな気軽に声を掛けたり挨拶したりするので、日本人としては気恥ずかしくてなかなかできない「Hi !」といった呼びかけも、だいぶ口をついて出てくるようになってきました。
5. 研究プロジェクトについて
当研究室では、これまで主にノックアウトマウスの作成と解析を通して、TGF-β superfamilyの生殖器官での役割をメインに研究を行ってきました。私も現在は、TGF-β superfamilyの1つであるインヒビンやアクチビンのシグナル伝達系をメインに、cre-loxPシステムベースの子宮および卵巣特異的コンディショナルノックアウトマウスの作成と解析を行っております。その他にも、各種卵巣癌細胞株とジーンチップを用いた網羅的な遺伝子解析を基に、miRNA(micro-RNA)も含めた遺伝子レベルでの新たな卵巣癌治療法の開発や、ヒト顆粒膜細胞とRNAチップを用いた、受精卵の質的診断法の開発なども行っております。
慶應で大学院生として行ってきた研究とは異なるアプローチであり、また、習得すべき新たな知識の量が膨大であるため日々悪戦苦闘しておりますが、当地で得た新しい視座と、これまで慶應で培ってきた知識と技術の全てを用いて、産科のみならず婦人科や泌尿器科も含め、幅広く生殖内分泌学の理解を得たいと考えております。また、滞在期間中にできるだけ多くの知見と人脈を蓄えると同時に、私の後に続く後輩達が、海外留学を通して世界でも一流の研究室で知識と技術を磨ける場を提供できるように、新たな道を切り開いていきたいと考えております。
6. おわりに
最後に、この場をお借りして、海外留学の機会を与えて下さった吉村泰典教授、青木大輔教授、丸山哲夫講師をはじめ、産婦人科学教室の諸先生、生殖内分泌学講座のスタッフ、そして共済立川病院の皆様に、改めて深謝させて頂きます。こちらでの経験が、帰国後の臨床と研究の遂行に良い影響を与えてくれることを期待しつつ、もう少しこちらで武者修行させて頂くことをお許し下さい。